2011年02月20日
赤尾木電波塔

龍郷町赤尾木に残る電波塔です。
昭和13年に作られたようです。
鉄が不足していた時代に、コンクリートの塔を作り
一番上のアンテナ部分だけを鉄骨を使って組みました。
終戦とともに機能を停止していましたが、
2005年頃までは、アンテナ部分も残っていたそうです。
戦争を語り継ぐ遺跡ですが、安全上の問題から
塔のすべてが近々取り壊される予定です。

上と同じ塔です。
真下まで行って触れることができます。
登り口などはありませんでした。

すっかりツタに覆われています。
ラピュタみたいです。
この塔には近づけませんでした。

空港から名瀬方面に走ってくると
赤尾木の町に入ってすぐ右手の方に2本。
信号を左折して左手に1本見ることができます。
上の2枚の写真に写っている海は赤尾木湾です。
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2011年5月8日付 南海日日新聞に関連の記事が出ました。
それによると、
南の瀬戸内町にある久慈郵便局が電信を
一手に引き受けていたが、南に遠く不便なため
電信基地として地形的に適地である赤尾木に
建設を進めた。
1938(昭和13)年から1962(昭和37)まで使われた。
10基が造られたが、現在は3基が残っている。
ということです。
海軍の通信塔と聞いていましたが
当時の「逓信省」の施設でした。
確信を持って戦争遺跡のように書いていました
訂正しおわびいたします……<(_ _)>
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Posted by チャーリー at 08:06│Comments(4)
│奄美の風景
この記事へのコメント
幼少期に笠利から名瀬に向かうたび目にして、物悲しさを感じてました。
取り壊されるんですね...。
またシマの風景が変わりますね。
取り壊されるんですね...。
またシマの風景が変わりますね。
Posted by えりそん* at 2011年02月20日 08:20
昔は砲撃で穴の開いた塔も残っていました
金久中の眼鏡校舎も
秋名の奉安殿も
赤尾木の電波塔も改修保存して観光のお役に立たないのでしょう
役人はみんなこぞって自然遺産登録ばかりかまくるけど
これらの古い建造物も奄美の遺産です
金久中の眼鏡校舎も
秋名の奉安殿も
赤尾木の電波塔も改修保存して観光のお役に立たないのでしょう
役人はみんなこぞって自然遺産登録ばかりかまくるけど
これらの古い建造物も奄美の遺産です
Posted by 赤マント
at 2011年02月20日 08:47

えりそん* こんばんは
記録に残しておかないといけない風景が
たくさんあると思います。
過ぎ去った時間は取り返しがつかないですね。
記録に残しておかないといけない風景が
たくさんあると思います。
過ぎ去った時間は取り返しがつかないですね。
Posted by チャーリー at 2011年02月20日 18:31
赤マントさん こんばんは
観光のひとつになると思います。
いつも見なれている普通の風景から
大切なものを抜き出す作業が必要ですね。
観光のひとつになると思います。
いつも見なれている普通の風景から
大切なものを抜き出す作業が必要ですね。
Posted by チャーリー at 2011年02月20日 18:36