2012年10月02日
丸田南里
名瀬市旧墓地の細道をわずかに入ると、老松の巨木が見事な枝ぶりを見せる。
その松の日陰を十メートルも進めば、古びた墓と小さな座像がある。
以上は、籾芳晴著『碑のある風景』昭和55年出版の一節です。
今から30年前の記述のとおり、今でもそのお墓はありました。
大きな松の手前に、赤紫色のクロトンが見えていますが、
その左上に小さく写っています。
(投稿前にチェックしてみたら、本当に小さくてわかりませんね。
右の電柱に、丸田南里の墓の案内があります)
こちらは、正面から写したもの。
座像もちゃんとありました。
世の中が、明治になったころ、
黒糖の利益を一手にかすめとっていた薩摩藩に代わって、
鹿児島県がその利益を収奪しようとして「大島商社」を設立しました。
そうはさせまいと立ち上がったのが、丸田南里です。
食い物にされていた無知な農民を守ろうと立ち上がりました。
「勝手世騒動」といいます。
ちょうど、勃発した国内最後の内乱「西南戦争」ともからんで
たくさんの犠牲を出しましたが、
丸田南里らの活躍のおかげで、
大島商社は解散、人々に学問の重要さが広まる元となりました。
名瀬小学校の裏、写真では人が写っているところを入っていくと
案内板があります。
丸田南里は、権力の搾取から奄美の人々を守った明治初期の英雄です。
今の奄美の基礎を作った一人ですから、
もう少し、扱いようがありそうな気がします……(*^_^*)
Posted by チャーリー at 07:33│Comments(3)
│奄美の人
この記事へのコメント
何度も通るのに 一度も行ったことがありませんでした(^^;)。そういえば 確かに… です(^^;)。
小学校でも 教えているんでしょうか??
ほんとにもう少し…ですね。
小学校でも 教えているんでしょうか??
ほんとにもう少し…ですね。
Posted by CA at 2012年10月03日 00:07
CAさん おはようございます
「奄美の人」というカテゴリを新しく作りました。
過去の人にこだわらず、
レポートできたらいいなと思います。
人は難しいです。
歴史であり、思想ですから。
見方も様々です。
それにしても、
観光で儲ける気持ちは
奄美からは
まだまだ、感じられないですね。
「奄美の人」というカテゴリを新しく作りました。
過去の人にこだわらず、
レポートできたらいいなと思います。
人は難しいです。
歴史であり、思想ですから。
見方も様々です。
それにしても、
観光で儲ける気持ちは
奄美からは
まだまだ、感じられないですね。
Posted by チャーリー at 2012年10月03日 07:19
はじめて見ました!
Posted by K.R at 2019年08月28日 17:24