2011年09月10日
2011年09月10日
五連のハヤ

赤尾木から倉崎海岸に向かう途中にあります。
板状サンゴで囲われたお墓が5基連なっています。
お墓の前には、石板が設置してあって説明が書かれています。
おおづかみに書きますと、
我々の一族は、天の児屋根(あめのこやね)の子孫であるところの中臣鎌足の子孫である。
このお墓をけがしたり、他家に出たものは一族であろうともこのお墓に入れない。
というようなことを書いてあります。
天の児屋根は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が、岩戸隠れの際、
岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに
太玉命(ふとだまのみこと)とともに鏡を差し出しました。
その鏡に映った自分を見て
「こんなにすばらしい女神様が降臨されましたのでみんな喜んでおります」
という言葉にだまされてふらふらと出口に近寄ったところを
引っ張り出されたのです。
また、天孫降臨の際、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に随伴し、
その後、中臣連(なかとみのむらじ)などの祖となったとされています。
中臣鎌足は、大化の改新の立役者であることは有名ですね。

赤尾木クレーターのほとりに静かに眠っておいでです。