しーまブログ 日記/一般奄美大島 ブログがホームページに!しーま新機能のお知らせ! さばくる~イベント情報受付中!~

2011年09月18日

平行盛神社





龍郷町戸口にある、平行盛神社の入り口です。
行盛は、壇ノ浦の戦いから落ち延びて
従兄弟の平資盛、平有盛や彼等の配下と共に生きのび
島民に文化を教え島を統治したとも伝わっています。

歌人としては藤原定家と親交のあった人物で、

  ながれての名だにもとまれゆく水のあはれはかなき身はきえぬとも

という歌が、定家の手で「新勅撰和歌集」に選ばれています。
平家が都落ちをしていく際に、定家にあてて書かれた書簡の包み紙に
書かれたといわれています。
自分は死んでしまっても、せめて、名前だけはこの世にとどまってほしい
誰かに自分のことを覚えておいてもらいたいというせつない歌です。

元暦2(1185)年3月、壇ノ浦の戦いにおいて平家が滅亡した際に、
平家物語では、従兄弟の資盛、有盛とともに入水自殺。
また、源平盛衰記ではは討死したことになっています。

鎌倉に母とともに逃れていた信基という子どもがいて
この子は北条時政に助けられ、種子島氏の祖となったといわれています。


江戸時代に、「系図書き」という商売がはやって
たくさんの系図が作られますが、そのほとんどが、
桓武平氏か、清和源氏につながっていきます。

わが家の家系図は「昭和」の末に書かれていますが
始祖は清和源氏です。
罪のない範囲で信じていくことにしています……(^.^)







  続きを読む
タグ :平行盛神社


Posted by チャーリー at 18:00Comments(2)奄美の暮らし